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ワンオペ育児から自然にイクメンを育てた共働き女子。心のミニマリストへ挑戦中の呟き。

『ご臨終 日どりが大切 お母さん 』と、耳元で囁く子どもたち

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家族の話題に「終活」が登場!

平均寿命が80才を超え、何処を見てもお年寄りばかり……

子育てしながら、介護や看取りまで背負う時代……

数ヶ月前、『子どもを思う母は強し』と 他界した祖母から教わりました。

祖母の危篤

祖母は17年前から認知症を患い、7年前から施設暮らし。
祖母の6人の子どもたちは、認知症が増し老いていく親を見ながら、終活や他界の心得は自然にできていました。
そして99才直前に他界の時を迎えます。

最初の「危篤」の知らせは、12月中頃でした。
家族が集まり、涙涙……祖母は持ち直しました。

この時から祖母の6人の子どもたちは、葬儀や看取りの話し合いを詰めます。
6人も子どもがいれば意見の相違ばかり……

2回目の「危篤」の知らせは、12月26日。
年末であり、『大晦日までに葬儀』と 家族は心得ました。
……祖母は持ち直しました。

年末年始、祖母の6人の子どもたちは交代で付き添い。
もう2度の危篤を乗り越え、後は思い残すことなく祖母の側に寄り添うだけ。

そして1番の重荷となる葬儀をスムーズに執り行なうことが、祖母の6人の子どもたちの気がかりでした。

だって時は年末年始、他界の日によって葬儀の日程が変わります。
土地柄的に通夜は自宅で行うことが多く、地域の町内役員の手伝いが必要となります。
めでたい正月三が日の通夜や葬儀となると、参列者や地域の方々に『迷惑がかかる』と心苦しく思い悩む祖母の6人の子どもたち。

祖母へのお願い

  • 年末になると、『大晦日ですよ、おばあさん。年を越してね』と 付き添う者は祖母の耳元で囁きました。
  • 年始になると、『あけましておめでとう おばあさん。今日は元日、年を越せたね』と 付き添う者は祖母の耳元で囁きました。
  • 1月2日になると、『今日は2日。もう少しがんばってねおばあさん。正月三が日は越そうね』と 付き添う者は祖母の耳元で囁きました。
  • 1月3日、『もう三が日も終わりだね。ありがとうおばあさん』と 付き添う者は祖母の耳元で感謝を呟きました。


どうしても正月三が日の通夜や葬儀を避けたい祖母の6人の子どもたち。
危篤状態の祖母に、『他界の日どり』を最後のお願いとして囁いていたのです。

あれほど意見の相違のある祖母の6人の子どもたち。
この「最後のお願い」については、祖母の6人の子どもたちは話し合っていないのに「同じこと」を祖母へお願いしていました。

他界する最後まで耳は聞こえている

認知症の祖母がどこまで理解していたかは分かりませんが、最後はわが子の願い通り、1月4日の明朝に他界しました。

その日、住職へ連絡し、通夜と葬儀は1月5日以降の段取りとなりました。

祖母は最後に母親として、6人の子どもたちの願いを身を削って叶えたのです。

延命処置を選択しなかった本人と家族たち。
最初に危篤と言われてからほとんど口から栄養を取れてない祖母。
数週間も危篤状態で体はやせ細っていました。

しかし数週間の間、祖母の6人の子どもたちが交代で日夜付き添いをし、耳元で語りかけ、口から栄養が取れない状況でも心が満たされたようで、旅立ちの顔は微笑んでいました。
多数の葬儀を目の当たりにしている住職が褒めるほどの旅立ちの顔。

戦前戦後の時代を6人の子どもたちと駆け抜けた祖母は、いがみ合う子どもたちに『最後は側にいてくれることが嬉しかったよ』との思いで、微笑んで逝く日を決めたかのようでした。

大人になっても、子どもは子ども。
老老介護の年代でも、子ども。
母親として子どもを思う強い気持ちには、「年は関係ない」と祖母は語ってくれました。

『ありがとう』と心の中で全ての家族から感謝された祖母の見事な旅立ちでした。

最後に、「いがみ合う子どもたちの仲を取り持った」祖母は偉大だと感じた出来事でした。


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